BALI

1994年12月28日(水)〜1995年1月2日(月)

これは当時の日記から転載した文章です。明かに変な言い回し以外はそのままです。読みにくいと思いますので、覚悟の上、よろしくお願いします。(^_^;)

1994.12.28(Wed) 一日目

朝6:00起床→6:45出発→7時友人M宅→8時豊橋駅着。豊橋駅まで車で送ってもらいました。スーツケース&重いバッグを抱え、車から降りた途端、○○くん(元彼)に会った。4年ぶり。びびった。
バスの切符を買って空港行きの高速バスに乗り込むと、早起きのせいで道中ほとんど寝入ってしまった。道はほとんど混んでいなかったらしく、ほぼ時間通りに名古屋空港に着いた。

まずは旅行会社のカウンターでスーツケースを預け、T/Cの両替のために到着ロビーへとまわった。10枚綴りのものしかなかったので50ドル×10枚で\50,775(レート\101.55)&手数料\507で計\51,282だった。出発ロビーへ戻り、2Fへ。手荷物とともにX線を通りロビーへ。DUTY FREEを見ていると、○○ちゃん&△△ちゃん(高校の同級生)と会った。私は直接知らないので、友人Mが話をしていた。水中カメラ(使いきりタイプ、\2000ぐらい)を買って飛行機に乗りこんだ。ガルーダインドネシア航空GA877便、12時出発!一路デンパサール空港へ。

乗って1時間ぐらいでLUNCHの時間になった。メニューはフィレビーフ ポリネシア風、マッシュポテト、にんじんのグラッセ、煮物、アップルパイ、フルーツ。飲み物はBINGTAN BEER、そのあとバリ・コピ。結構強烈だった。そのあとベストキッドみたいな映画をやっていたけど英語だった。到着は現地時間6:22(予定)、約7時間半のフライトだった。5時ぐらいには軽食タイムがあり、茶そばと寿司が出た。飲み物はDiet Coke。合わねぇ。(爆)

さて、BALI到着!飛行機を出た途端、ムッとする暑さ!気温30度、ちょうど夕焼けの時間。デンパサール空港の建物はいかにもバリ風。空港内は一応冷房があって一息つく。まずは入国検査で「Sightseeingでいいんだよね?」とか「6日間だよね?」とかいろいろ相談しあっていたのに、パスポートに判押して入国カードを取るだけで何も聞かれなかった。拍子抜け。
スーツケースを取りに行くと何やらワケのわからない現地の人が突然「×××××」と話しかけてきて、全然理解できなかったけど、何度か言われるうちに「Rainbow」(注:私たちの利用したツアーがRainbow Tourだった)と言っているようなのが聞き取れた。一応「Yes」と言ったらスーツケースを持っていってしまった。慌てて着いていくとその人たちはポーター(!?)で、ガイドさんの所まで持っていったら「チップ、チップ」と言われ、チップを取られた。出口のところで私のスーツケースだけ開けさせられ、そんな怪しい人たちに囲まれている状態で開けるのがすごく不安で、ホテルについて中身を確認するまで安心できなかった。

ガイドの人は現地人でスナルタさんという人だった。他に家族で参加している4人と一緒にワゴンに乗りこんだ。もう周り全てが怪しい人に思えてしょうがなかった。初めてのバリは人がすごくたくさんいて、バイクもたくさんいて、すごく道が混んでいた。運転が荒くてハラハラしてしまった。
私たちが泊まるのはWina Cottage。ホテルに着いてスナルタさんがチェックインの手続きをしてくれて、そのあとホテルの人がスーツケースを部屋まで運んでくれた。ここでまた1ドルずつチップ。部屋に入るとすぐにスーツケースの中身を確認して、無事だと知り、ようやく一安心することが出来た。

部屋はとても広く、シンプルな作り。テラスがついていて南国らしい雰囲気だった。シャワーは出が悪く、温度調節もうまく出来ない。とりあえずホテルのレストランに夕食を食べに行った。一応ウェイターの人も片言の日本語はわかってくれるようだ。とりあえず安心して食べられるものを、と、コーラとかファンタを飲み、スパゲティボロネーゼ&ピザを食べた。結構美味しかったので良かった。次の日は半日観光がついていたので、しっかり睡眠をとることにした。ようやく1日目が終わろうとしていたが、まだ「バリ島おそるべし」という感想しかなかった。

1994.12.29(Thr) 二日目

朝8:30ロビー集合なのに、寝過ごして朝食をとる時間が無くなってしまった。昨日の家族はすぐ近くのバリバンガローに泊まっていた。鈴鹿から来た○○さんという人たちだ。お母さんは陽気で好奇心旺盛な人でいろいろ話をしたが、お父さんと息子2人は全くしゃべらなかったので私たちは密かに「無口トリオ」と呼んでいた。
まずはバロンダンスを観に行った。バロンダンスは獅子舞いふうのかぶりものが出てきた。演奏は生のガムラン体だった。すごく心地よかった。女の人の踊りもキレイだった。良い魂バロンと悪い魂ランダの闘いの踊り。とても混んでいて後ろの方の座席だったのが残念だった。
次はデンパサールの市場へ行った。今日もすごい運転。ガイドのスナルタさんは本当にいろんなことを知っていてビックリ。(デンパサールはデンが北、パサールが市場の意味だそうです)市場は入ってみてまずその匂いに参った。生きた鶏をさばいていてその肉にハエがワンワンたかっていてその前では南国のフルーツが並んでいて、そのお向かいにはいろんな魚がつんであったり、スパイスが売っていたり、、、すごかった。ここで初めて物売りに会った。とにかく「NO」「NO」でやり過ごす。
次はバリ博物館。お寺の建物とかがスゴイ。後は魔よけのための門とか、いかにもバリというものが集まっていた。ここでも物売りがしっかりいた。
その次は銀製品のお店。入るとオレンジジュースとアクア(地元のミネラルウォーター)の無料サービスがあり、いかにも買わせるぞっていう感じ。すごく高いものがずらーっと並んでいたが、その辺は無視!イヤリングとか見ると20ドル〜15ドルくらいであったので、イヤリングを2つとジュエリーケース2つを40ドルで買った。初めてT/Cを使い、おつりをインドネシアルピーでもらった。10ドル→20,000Rp。すごくたくさんもらった気がした。
次に行ったのは木彫りの店。白檀の木の香りがいかにもバリって感じだった。ここは黒い服の店員さんがいっぱいいて一人につき二人は店員さんがくっついてきた。みんな片言の日本語OKでとてもあやしかった。エスニック風の木彫りグッズがたくさんあってたくさん買ってしまった。ここは日本円だった。すごくはりつかれて困った。
続いて、絵の店。ここも入口の前にバリの人がいっぱいいた。それも若い男の人ばかり。みんななれなれしくて参った。最初についてきた人はまだ日本語が少ししかしゃべれなかったけどいい人そうだった。後からついてきた人は結構日本語ペラペラで「日本人の女の子かわいいね」とか「年はいくつ」とか聞かれて”現地恋人”という言葉を連想してしまった。日本の女の子はこういう人たちと付き合って貢いでるのかなあとかね。絵も買わなきゃ帰れないという感じで100ドルのやつを50ドルで買った。友人3人は40ドルで買ったと聞き、すごくだまされた気分だった、、、。何だかホストクラブに迷い込んだみたいな時間だった。
昼食の時間になり、CHINESEレストランへ行った。白身魚のフライの甘酢あんかけと牛肉のオイスターソース炒め、やきそば、豆腐と野菜の炒め物、ヤングコーンと海老の炒め物の5品。あと玉子スープとフルーツ。朝食を食べていなかったせいもあって美味しかった。
続いては布のお店。コースターのセット2つとバティック布2枚買った。ここの店員さんは女の人だったけどしつこくはりつかれた。買い物が終わって外に出ると出口に一人なれなれしい男の店員がいて、一緒に写真を撮ったりしてしまった、、、。宮本亜門、バリバージョンって感じの人だった。
やっと観光ツアー(買い物ツアー?)が終わってホテルに戻った。
その後はホテルのプールでひと泳ぎ。すごく気持ちのいい夕方を過ごした。夕食はこの日もホテルのレストランで。インドネシア料理に挑戦しようと、ナシゴレン(焼き飯)とチキンサテ(焼き鳥)を頼んでみた。とても美味しくて一安心。みんなでホテル内の売店に行ってみると服とかすごく安くてビックリ。1000円以下、当たり前の世界。夜はみんなでファッションショーになった。

1994.12.30(Fri) 三日目

この日は朝ゆっくり寝て、11時ごろから活動を始めた。ビーチ沿いを歩いてジャラン・ムラスティ(ムラスティ通り)へ出かけることにした。クタビーチ沿いの通りを歩いているとビーチにアイスクリー屋があったので、みんなで買いに走った。1つ650Rpとか言われ、よ〜く考えたら32.5円とかでビックリ。
前日車で通っただけなので、歩いてみると意外と距離があってうんざりする。まずみんなはインドネシアルピーに両替して、そのあと昼食。ORCHID GARDENという店。またナシゴレン、ミゴレン(焼きそば)などを食べる。LARGEのアクアをたのんだら1リットルぐらいのでかボトでびっくり。でもこの店はとても美味しかった。
シャラン・ムラスティはとにかく物売りが多くて大変。とりあえずこの日は姪っ子用のスカート(15,000Rp)、サンダル(40,000Rp)パレオ2枚(20,000Rp)、パーカー(65,000Rp)、短パン(4,200Rp)を買った。合計144,200Rpで日本円に直すと7200円ぐらい。
夜はケチャを観に出かけた。ケチャはとにかく凄かった!あれはまた何度でも観たいと思った。
そのあとはレゴンダンスを観ながらのロブスターディナーという話だったが、あれはシュリンプディナーの間違いだと思った、、、。

1994.12.31(Sat) 四日目

朝からダイビングに出かける。ツアーオフィスに行くとダイビングポイントのトランバンまで車で2時間半かかるという。結構ドライブがスリリングだったが良かった。田舎の村とか通ったりして、普段のバリの姿が少し見られた。私はクタビーチの騒がしさよりこっちの方が好きだなと思った。クタは遊びに行くところで泊まるのは他のほうがいい。
インド洋側からバリ島北東の太平洋岸へ出るととっても変わった雰囲気になってきた。岩がゴツゴツしていたり、サボテンが生えていたり。

トランバンにつくと、私たちはまずシュノーケリングからだった。プトゥさんという現地の人がついてくれ、まずマスクをつけてその場で顔をつけて息をしてみる。すると本当に足元にキレイな魚がすいすい泳いでいてビックリ。スゴイスゴイ!その後は5人(うちら+プトゥさん)で手をつないで沈船ポイントへ。沈没船はすっかり朽ちて、魚たちのすみかになっていた。口だけで息をするのにもだいぶなれた。
その後はいよいよダイビング。重りをつけてタンクをしょって顔をつける練習。そのあとはマンツーマンでダイビング本番。私についてくれたのは名前不明の現地の人。まず水に潜って、耳抜き。そしてスーッと潜っていった。ふと上を見ると海面が遠い。何かあったら大変だなあ・・・と実感。先ほどの沈船ポイントにもずっと近づいていった。時折ガイドさんが「大丈夫?」って感じで顔を覗き込んだり、つないでいる手をぎゅーっと握ったりする。海の中では自分が呼吸する音とガイドさんだけの世界。このまま時間が止まったらいい、と思った。イソギンチャクに触ったり、サンゴの間に隠れている小さな魚をつついたり、バナナで魚を寄せたりした。大きな魚が自分の目の前をひらひらと通りすぎる。う〜ん、スゴイ、、、。
それから陸に上がってLUNCH。フライドチキンとナシゴレン。食べ終わったら井戸水をシャワー代わりにかけてもらい、とても気持ちが良かった。
そしてまた2時間半のBAD DRIVE。でも疲れていて少し眠ってしまった。

夜はホテルのカウントダウンパーティー。
私たちの部屋のちょうど下のところにテーブルいっぱい並べた野外ディナー。レゴンダンスと二人組の歌。すごく過ごしやすい空気だった。11時ごろには終わり部屋に戻るが、疲れて年を越す前に寝てしまった。


1995.1.1(Sun) 五日目

A Happy New Year!
今日はバリ最終日、買い物ツアーだあ。
まずはPLAZA BALI(DUTY FREE)へ行く。普段なら無料送迎バスがあるのだけれど、年始でクタ方面は混んでいるので来れないとのこと。結局ホテルの人に送り迎えしてもらう。
朝食を食べていなかったので、すぐレストランに向かうがまだ開店していなかった。で、ここプラザ・バリの軽食スタンドには何故か大判焼なんてものがあったので食べてみた。あずき&チーズ&チョコ。すごすぎる、、、。私はチョコだったがまさにチョコがけワッフルって感じ。
さて、買い物スタート。おとつい町を歩き回ってしまったせいでここのものはとても高く思える。それにまけてもらえない。買ったものはランチョンマット&チーフのセット(25ドル)、姪っ子1号&2号へのTシャツ(12ドル)、兄弟へのTシャツ(50ドルと40ドル)、銀のブレスレット(37ドル)、クリニークの口紅五本(62ドル)、マカダミアナッツチョコ×13(144ドル)、スウォッチ(39ドル)。
昼はプラザ・バリ内の中華レストランへ。「食べるぞ〜〜!」とばかりにガンガン注文する。くらげ、海鮮ビーフン、海老チリ、水餃子、しいたけと鶏肉のスープ、タンタンメン、杏仁豆腐でトータル65,000Rp→3250円。安いよなー!
結局3時間強、時間をとっておいたけど、足りなくて、最後のスウォッチなんてあと20分は迷いたかった、、、。

ホテルに戻って、再びジャラン・ムラスティに買い物に出た。だけど元旦のせいで休みのところも少なくなかった。とても楽しみにしていた銀製品のお店もしまっていた。それでもまず甥っ子用ランニングシャツ×2+同僚へのTシャツ(18,000Rp)、姪っ子用の水着(15,000Rp)、カットソー(25,000Rp)、両親へのサイフ(20,800Rp)。
最後に革製品のお店に入ったがとても安くてかわいいバッグがたくさんあった。そこの店員のお姉さんと英語で少し話しをしたが、初めてバリの人っていいひとだなあと思った。でも思い返してみると宿泊先のウィナコテージの人みんな、アイスクリーム売り(ここで唐突に文章が終わっているので適当に書き加えます)の人、ガイドのスナルタさん、スキューバのガイドの人たち、などなどみんないい人たちばかりでした。

食べ物も美味しかったし、買い物も楽しかったしまた絶対来たいなと思いました。今度は是非ビーチ付近じゃなく、もっと奥の方に行ってみたいです。